5月17日 (第6日目)  九州最南端の佐多岬へ

指宿〜枕崎〜知覧〜桜島〜佐多岬〜
鹿屋〜都城〜宮崎    370Km

朝起きて食事の前に海岸に散歩に出掛けてみたところ、海岸に湯気が上がっているのが見えました。  磯辺をを裸足で歩いてみるとかなりの暖かさを感じるほどで、砂の中に足を潜らせてみたところかなりの熱さを感じました。  昨日は全く気がつきませんでしたが、明け方は気温が下がったことがら湯気が出たものと思いますが、とても珍しい光景を目にすることが出来ました。
昨日ペアレントさんから枕崎が九州の最南端の駅であることを教えられ、終点の駅がどのようなものか立ち寄って行くことにしました。  途中、薩摩富士ともいわれる開聞岳を左に見ながらR226を進むと、流石に九州は焼酎処だけのことはあって薩摩酒造、本坊酒造など工場も見られました。
圭屋YHを出て1時間足らずで枕崎に到着し、早速枕崎駅を探しまし近くまできましたが、駅に入る場所がわからない。  細い道を派していると枕崎駅の看板が目につき、人通りもなかったのでバイクを道路脇に駐車し、歩いて駅の構内に行ったところ無人駅でしたので、中に入ってプラットホームの写真を撮ってきました。

さて、今回は鹿児島に行ったら必ず立ち寄りたかった知覧の特攻平和会館に向いました。
今年で終戦後63年目を迎えますが、この知覧特攻基地は昭和16年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃した2日後に、福岡から3機の飛行機がやってきて本土最南端の飛行場として開港したもので、終戦の年の昭和20年に本土最南端の特攻基地となって、この基地から3月26日から7月までの僅か4ヶ月ほどの間に、特攻隊員として飛び立って行って無念にも戦死した若干17歳から22歳という若い命を終えた1,035人の英霊も祀られていました。
館内は全面撮影禁止ということで、右側の写真の左手に見える入口から先は一切撮影が出来ず、瞼と脳裏に焼き付けてきましたが、館内には当時の戦争にまつわる数々の展示品の他に、 特攻隊員の遺影が出撃した月日の順に並び、そして決死隊(お国のために必ず死んでお役に立つ必死隊とも言われたそうだ)として出撃前に書き残されたという隊員の辞世、遺書、遺作、最後の言葉などが、当時のまま直筆として残されており、数十通の父母、兄弟、親戚、知人等に宛てて書き残された書面を読んでいくうちにとても胸が熱くなってきた。
館内では、実機としてはここ知覧にのみ残っているという三式戦闘機「飛燕」の前で、当時の様子を入館者に解かりやすく説明をしおり10分ほど聞き入っていたが中々の熱弁だった。
館内を後にして、少し特攻平和会館の敷地内を回ってみたところ、館内では写すことの出来なかった零式艦上戦闘機(零戦) を窓越しに後姿ではありましたが撮影することが出来ました。  この零戦は昭和20年5月に海没したものを知覧町が昭和55年6月に引き揚げたものだそうです。  
この他には、攻撃を避けるために林の中に建てられたという、粗末な低い屋根で風通しも悪そうで、さぞ居心地も悪かったであろうと思われる復元された三角兵舎等も見ることが出来た。
9時の会館と同時に入館して、ゆっくりと1時間半ほど見学してから平和会館を後にした。
指宿〜枕崎〜知覧を走っていて特に感じた風景は焼酎どころということで、さつま芋畑がとても目立ったことと、鹿児島県はお茶の生産が静岡県に次いで日本第2位ということで、特に知覧あたりでは一番茶の摘み取りの終わった車の通りも殆どないR225沿いの茶畑の中を快適に鹿児島港に向ってバイクを進めた。

今日はこの後、佐多岬まで向かい距離も相当延びることも予想され、指宿スカイラインに向かい知覧ICから鹿児島ICを経て鹿児島港の桜島フェリーのターミナルに向い、12:30分のフェリーに乗りましたが、僅か13分という航行時間と海面も穏やかであったこともあってか、バイクには車止めすら施さずサイドスタンドを掛けた状態のままでした。
桜島港に渡った直後に見上げた桜島は大変穏やかな眺めでしたが、R224数キロ走ったところで桜島からの噴火が確認でき、周りの風景も大きく変わってきました。  
この辺りは桜島の南側にあたるのでしょうか、路面に降り積もった火山灰が道の脇に凄い高さで寄せられてありましたが、多分そんなには長期間置かれているものはないと思いますが、いずれにしても想像をはるかに越えたものでした。
そして更に進んだところの山の麓に人の気配もなく、とても住むことも出来ずに廃家と化したと思われる集落がありましたが、自然の恐ろしさにまたまた身の縮む思いがしました。
桜島を背にR220で錦江湾の美しい景色を右手に見ながら垂水市に入って、桜島方面を振り返ると上空の噴煙はどうやらこちら方面に向って流れているようでした。  
大隈半島に入って3Km程進んだところでその不安は現実となり、上空の気流と地形との関係もあるのでしょうか、数キロ先の景色が霧に包まれたように見えてきました。
写真でも判るように、この辺りから大きく右にカーブして、ちょうどこの辺りは小高な山の懐となっているようで、この区間だけが風向きによっては火山灰の吹き溜まりとなるようで、この地点から2〜3Km火山灰の中を走ることとなり、ここを過ぎてからヘルメットのシールドを拭いたところ、写真ではそれ程でもないように見えますが、グローブにびっしりと火山灰が付着するほどで、拭き取ったところ前方が大変良く見えるようになったほどで、この辺にお住まいの方のご苦労は到底計り知れないものがあります。

さてここからは、佐多岬まではR220/R269をひたすら佐多岬に向って進み、2:50分に佐多岬に到着した。  しかし、佐多岬の先端はまだ遥か1Kmほど先で、ここからは徒歩でしか行けず、ここで引き返すわけにも行かず通行料300円を支払って展望台まで向った。  途中に谷の部分があって、ほぼ高低差は50mは充分あったと思いますが、遠くに見える展望台を眺めながら、時間のロスが惜しいために汗だくでひたすら走る。
そしてついに九州最南端の美しい景色を目にすることが出来ました。

まだ一度も出掛けたことのない沖縄は別にしても、これで6年前にバイクで出掛けた北海道の宗谷岬(北緯45度31分)と、今回のツーリングで九州の佐多岬(北緯30度59分)に立つことで、小さな私の征服が出来た。(笑
それにしても宗谷岬と佐多岬では2700Kmもの距離があるんですねぇ。
駐車場に引き返したところちょうど3時半で、今日の宿を何処にするかホステリングガイドブックと睨めっこをしながら、ナビで数ヶ所検索したところどうやら宮崎市内に7時過ぎの明るいうちに到着できそうなので、急遽YHに電話を入れ予約が出来たのでさっそく出発。

宮崎に向っては、R269を戻って鹿屋市内に入ると18日には鹿屋航空基地で航空ショーがあるということで、プロペラ機による隊列飛行訓練がされていたので、しばし休憩をしながら見学(残念ながら写真は失敗)してから更にR269を都城市内に向ってひたすらどこに立ち寄ることもなく北上した。
都城に入ってからは、都城ICから宮崎自動車道にのって宮崎市内に入り、ナビ様のお陰で迷うこともなく予定より少し早目の6:50分に無事に宮崎婦人会館YHに到着しましたが、このYHは交差点を介した反対側の目と鼻の先に宮崎県庁がありました。
到着して直ぐにペアレントさんから近くの温泉と食事処を訊ねたところ、比較的近くにある温泉の半額券を貰い、東国晴知事もお薦めという宮崎地鶏を食べさせてくれるお店を紹介してもらい、普段着に着替えて早速出掛けました。
先ずは宮崎観光ホテルの中にあるたまゆらの湯で温泉に浸かって、今日一日の汗を流してから、宮崎地鶏を食べさせてくれるという鳥の里という割烹店に行きました。
店の中は中々の賑わいで混雑していましたが、ペアレントさんの名前をいうと何とか席を都合してくれて、お薦めのコース料理を頼みましたが、一品ずつ出されてくるためにメニューの写真を写してきましたが、どれも最高でしたが何と言っても美味しかったのは地鶏の炭火焼と刺身でしたね。
お陰でこの夜はお神酒もたっぷりと頂きましたので、YHに帰って早めに床につきました。