浜松の、お囃子と屋台の始まりは、むかし凧合戦が終わると荷車に凧や道具を積んで帰ったが、明治の末
に当時の名優森三之助は一座を連れ、凧上げから帰る若衆を鐘や笛、太鼓の鳴り物入りで迎えた。
これが浜松のお囃子の始まりである。 また、屋台はお囃子より少し遅く、はじめは通称大八車にたる木柱を
立て、凧糸を張り提灯や木花で飾って、糸枠、凧をたてかけ大八車に引き紐を輪に付け、子供達が輪の中に
入って、ワッショイと掛け声勇ましく凧会場から曳いて帰ったのが屋台の始まりと云われる。
大正4年には底抜け屋台(浜松独特)が、そして大正11〜2年頃からお囃子連が乗れる屋台になり昭和へ
と時代が進むにつれ、御殿づくりの豪華な屋台になり、夜の市内には各町内から終結した80数台の屋台が
夜6時半を合図に一斉に市内をお囃子と共に若衆が練り歩き目も目映い不夜城を現わし、数十万人の観衆で
埋めつくされてしまいます。
|