浜松祭りは、5月3日から5日にかけて凧揚げ合戦は中田島砂丘に近い凧揚げ会場で
御殿屋台の曳きまわしは市内の中心部で交通規制のもとに行われます。
この3日間で、浜松祭りには延べ200万人もの人達が訪れるといわれております。



凧 揚 げ

  浜松の凧揚げ祭りの起こりは古く、江戸時代の元文4年(1739年)酒井真邑の著によれば、今からおよそ
425年余り前の 『永禄年間(元年〜8年の間に)飯尾豊前守殿居城、この子孫曳馬野に住するも也。
引間城主、飯尾豊前守の長子義廣の誕生を祝して、入野村の住人佐橋甚五郎なる者、凧の大なるものに
御名義廣と記し城中において揚げ奉る』
と記されている。

  引馬城(後の浜松城)近くより城の上空高く、義廣公名入りの大凧を揚げ御誕生を奉祝したことに始まる。
このようなことから浜松では昔から「初凧」ととなえ、長男が生まれると町内の若者達が端午の節句に祝い凧
を贈って揚げるという、長い間の風習があったもので、この民族行事は日本の遊戯が盛んになってきた江戸
時代中期以後に普及されたものであろう。
凧絵については、江戸時代は”菊水”や”雲”に”鶴”などであったが、明治から大正にかけては各町の名前を
現わす絵や文字に変ってきた。 各町内毎の凧絵凧じるしは、こ こ をクリックするとご覧になれます。

  凧上げ場で一ケ町が揚げていると、他町からやってきて挑戦したもので、次第に組織化され、旗を押したて
て揃いの法被、鉢巻きをしてラッパ隊に合わせて壮絶な切りあいをする凧合戦競技を行うようになった。
そして昭和40年代には約60町程度の参加であったものが、現在では時代の変遷と共に参加町内も増え
170町を超える賑わいを見せています。  このため、あれだけ広い凧上げ会場も今では以前と違って
すし詰め状態となりつつあり、色んな意味での凧上げ風情もやや変わってきているようだ。



御殿屋台の引き回し

  浜松の、お囃子と屋台の始まりは、むかし凧合戦が終わると荷車に凧や道具を積んで帰ったが、明治の末
に当時の名優森三之助は一座を連れ、凧上げから帰る若衆を鐘や笛、太鼓の鳴り物入りで迎えた。
これが浜松のお囃子の始まりである。 また、屋台はお囃子より少し遅く、はじめは通称大八車にたる木柱を
立て、凧糸を張り提灯や木花で飾って、糸枠、凧をたてかけ大八車に引き紐を輪に付け、子供達が輪の中に
入って、ワッショイと掛け声勇ましく凧会場から曳いて帰ったのが屋台の始まりと云われる。

  大正4年には底抜け屋台(浜松独特)が、そして大正11〜2年頃からお囃子連が乗れる屋台になり昭和へ
と時代が進むにつれ、御殿づくりの豪華な屋台になり、夜の市内には各町内から終結した80数台の屋台が
夜6時半を合図に一斉に市内をお囃子と共に若衆が練り歩き目も目映い不夜城を現わし、数十万人の観衆で
埋めつくされてしまいます。


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