3日目は前日までとは違って好天気にも恵まれ、今回の東北旅行では昨年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の被害状況を当地でも東海・東南海地震の発生の恐れもあって、被災状況を少しでもこの目でつぶさに確かめてみたいという気持ちもあって、できるだけゆっくりと被災地を見て廻ることにしました。  このページでも被災地の様子をできるだけお伝えしたく画像をより多く見られるようにanimationの画像を多用しました。



5月19日 (第3日目) 三陸海岸に向けて

昨日とは違って快晴の朝を向かえ、いよいよ津波の恐ろしさを肌で感じることのため特に津波災害の大きかったといわれる三陸海岸方面に向かって宿を7:00に出発しました。
東北道に乗り仙台南ICから仙台南部道路を走り最初の目的地の日本三大三景で有名な松島湾に向かっている時に仙台若林JCTの手前で「仙台空港方面」の案内板を見たが、これから先の時間も読めなかったことから案内板をこれを無視して松島湾に向かいましたが、4日目に宿泊した時に福島で開催された環境放射能除染学会の研究発表会に参加さたという静岡市出身だという方と露天風呂で意気投合し話を聞いた中で「大きな失敗」をしてしまったことに気がつきましたが、この時のことについては最後のところで述べます。

先ず最初に津波の被災地とし到着したのは松島湾でしたが、観光船発着場の近くで案内をしていた方に尋ねると島の一部が崩落したり、島と島とを結ぶ橋が壊れ湾沿いにある商店の1階が泥水に浸ったりはしたが、他の三陸沿岸地域と比べると津波の被害は軽微だったようで、10年前に北海道ツーリングの帰りに苫小牧港から仙台港に降りて立ち寄った時の記憶の中のイメージと殆ど変わっていないように思えました。

松島湾から国道45号線で石巻に向かい、ここから国道398号線に出ていよいよ三陸海岸線沿い最初の女川町(おながわ)に向かって走り女川港に到着した時に、以前は町並みがあったであろう場所が既に綺麗に整備がされていて、建物の基礎部分だけが残され真っさらな平地になっていた姿には我が目を疑いました。
しかし、被災以前の姿を知らない私には過去の報道以外にはどのような変化があったのか知る由もなく、ただ茫然と更地化した港町を眺める他ありませんでした。

女川港を過ぎてからはやや海岸線を外れたり、時折眼下に海岸線を望むような切り立った道路を走りながら湾に接した地域では何ヶ所か女川港同様な無残な姿を目にしましたが、午後1時を回った頃に南三陸町の志津川に到着した時に見た光景は更に広範囲に及ぶ町全体が津波の被害を受け、ここでも家並みで見えるはずもないであろう海が一面に見渡せました。
1年以上が経過した現在ですが写真のように瓦礫などの整理がされ綺麗な更地となってはいますが、これから先護岸工事等を含めた再整備が進むことが避難先から安心できる地元への復帰の条件となるかと思いますが、現地を見た限りでは復興への道のりは険しくまだ先のような感じがしました。

次に北上して気仙沼市に向かい国道45号線から脇道に入り気仙沼港に行くと、流石に大きな漁港だけあって被害の規模は広範囲にわたっており、幾つかの頑丈な建物は残されたままだが、ほぼ更地化した荒野のような街中をナビを頼りに何とか港の中心部まで辿りつきました。  瓦礫の処理はかなりのスピードで進んではきており、港からだいぶ離れた場所では新しい建設も幾つか始まっている姿を目にしましたが、ここも完全復興までにはまだまだ長い期間を要するように思いました。
そして津波の物凄さで更に衝撃を受けたのは、津波の凄さについては過去のTV報道で知ってはいたものの、どうしてこれだけのものが港から約800mもの距離を流されたのか全く想像もできない程の大型漁船「第十八共徳丸」(全長60m、総トン数330t)が、ほとんど無傷のような状態で道路沿いに横たわっていた姿でした。
後日、この写真の正確な位置をネット確認したところSankeiPhotoのパノラマ写真館に昨年の4月13日から4回にわたって同じ場所から撮影されたパノラマ写真(360度)がありましたが、ここをクリックして左上のサムネイル画像を順次クリックすると被災以降の現場周辺の変化がお分かり頂けます。

そして三陸海岸沿い最後の訪問地として陸前高田市に入りました。
国道45号線を走っていると海岸線の方向に、これも数回となく報道された松林の中で唯一生き残った「奇跡の一本松」が見えてきたのでかなり近くまで近寄ってみたが、どうやらまつは根が海水に長期間浸かり生育絶望となってしまったようでした。
少し気になる点としては、右上の写真では少し分かりにくいのですが、一本松の左手に見える護岸工事は高さもなく、まだまだ心もとないという気がいたしました。
ここ陸前高田の広田湾は大変懐の広い湾で、それだけに5〜6Kmも続く海岸線の町々の被害も大きく、海岸から僅か数100m先のところを走る国道45号線や県道を津波が乗り越え、あまりにも平坦な地形ということもあって2Km以上も先の山手のところまで民家という民家を全て飲み込んでしまったようで、更地化した土地の面積では今まで見てきた中では最大だったように思います。
陸前高田で特に気になった点は、瓦礫の山はその前を走り向けていくダンプカーの倍以上もの高さとなって途方もなく延々と続いており、これから先どのようにして廃棄処理をしていくのか、現在各地方自治体への協力要請もされている中で、焼却瓦礫の放射能汚染が疑われるといった単に風評的な噂だけで受け入れ反対を叫んでいる人達もいますが、先ず現場に行ってよく見てみろと言いたい気持ちになりましたね。

さて、陸前高田を見た後でここから国道340号、283号線と乗り継いで昼過ぎに予約をしておいた遠野市の遠野ユースホステルに夕方6時近くに到着し、本日の363Kmの三陸海岸の旅を終えましたが、少しでも早い復興が出来ることを願わずにはいられない旅となりました。
陸前高田から遠野に来る途中のトンネルでの走行中に今回2回目のトラブルの発生に気がつきましたが、このことについては後編で・・・。

最後に冒頭に述べた「大きな失敗」ということについてですが、今回見てきた三陸海岸は私達の住んでいる海岸線とは大きく異なり、陸地は起伏が多く急な傾斜の山地が海岸にまで迫り入り組んだリアス式海岸で、湾の部分だけが平地部分の少ないという特殊な地形で、この点では海岸線から約1Kmに位置する滑走路が水没した仙台空港のある地域(名取市、岩沼市)は海岸線にほぼ100mほどの砂浜と松林を持ち地形が遠州灘と比較的に類似していて、既に仙台空港は早期な復興もされていることから、この地域の状況が参考になるのではないかと言うことでしたが、滞在の延長もままならず立ち寄らずに帰ってきてしまったことでした。